2012年05月の日記
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「絵で見る移民船」移動展の開催 (2012.05.17)

ごあいさつ

日本から世界各地への移民が始まったのは100年以上も前のことになります。明治元年(1868)に我が国最初の契約移民153人が渡航したハワイでは既に日系6世が誕生する一方、移民の足跡を後世に伝えることの難しさが課題となっています。全国有数の移民県として多くの移民・移住者を輩出してきた和歌山県においても先人の記憶は消失しつつあるのが現状といえます。言葉も文化も異なる外国の地で苦労を重ねる中、今日の日系社会の礎を築いた先人たちの大変な努力、勤勉さ、開拓精神などから、今日に生きる私たちもさまざまに学びたいと考えます。
移民母県と呼ばれる和歌山県の地域遺産の一つとして、移民の歴史を記録し伝えてゆくことを重大なことと捉え、これまで「和歌山から世界への移民」というテーマのもとに、移民展(2009年、2010年、2011年)ならびにシンポジウム(2009年、2011年)を開催してきました。
2012年度は、移動パネル展絵画と資料でつづる移住者の船上生活「移民船に想いを馳せて」を開催する運びとなりました。本展示のために和歌山市在住の画家・志磨隆氏が描いた移民船の水彩画、そして和歌山市民図書館をはじめとする協力機関の提供による移民船関連資料および本研究所所蔵文献や解説パネルなどの展示を通して、人々を世界各地へ運んだ「移民船」に焦点を当て、初期移民がどのように海を渡ったのか、当時の移民船とはどのようなものであったか、移民たちは船上でどのように過ごしていたのかなどを振り返ります。

共催:アトリエV&R、和歌山市民図書館 後援:和歌山県教育委員会、和歌山市教育委員会、(公財)和歌山県国際交流協会、和歌山県中南米交流協会 和歌山県中南米交流協会紀南支部
資料提供:(財)日伯協会理事・黒田公男氏、JICA横浜海外移住資料館、西本カメラ

展示開催にあたり、ご協力賜りました皆様に記してお礼申し上げます。

和歌山大学紀州経済史文化史研究所



昨年秋 和歌山大学の東准教授から10点の移民船の絵画制作を頼まれ開催の一週間前 5月17日に完成した。これらの移民船は19世紀後半から20世紀前半に活躍したため資料に乏しく細部の描写に苦労した。

日時:5月28日(月)〜6月28日(木)
場所:和歌山大学観光学部 他、和歌山北コミニュニティセンター・和歌山市民図書館・和歌山県国際交流協会・南紀熊野サテライトなどが予定されている。

蘇った移民船 絵の解説

1.KASATO-MARU/1-F10 「紀伊水道を南進するかさと丸」
10時神戸を出港して晴天の中、友ヶ島水道を通過紀伊水道へ。出港式の興奮がまだ冷めぬ中大阪湾を過ぎ友ヶ島灯台を左に見て一路太平洋へ。当時
の船は石炭を焚いていたためフルスロットルにするとこの様に蒸気機関車何両かに匹敵する猛烈な煙を吐いた。石炭の排煙は昔、蒸気機関車を体験した人は記憶していると思うが粉塵が目や鼻に入り大変つらい。作者が2008年に乗船したQE2(クイ−ンエリザベス2世)でさえ蒸気タービンであるのに後方のサンデッキにいると高い煙突から物凄い煙が降りてきた。

2.KASATO-MARU/2-B2 「波濤を越えて、ブラジル沖に」
南緯25度/西経40度地点を北上中サントスが目前のブラジル沖で低気圧に突入し高波7mの時化に遭遇、KASATO-MARUは高波に翻弄される中風上に船首を向け速度を半分に落とし波を選ぶように操舵しこの嵐を乗り切ろうとした。船内では船体が大きな波に衝突する度に腹に響く低い衝突音と船客の悲鳴が交互に響いた。

3.RIODEJANEIRO-MARU 「天気晴朗なれど波高し」
南緯28度東経130度/RIODEJANEIRO-MARUは晴天下速度を上げ4mの波とうねりの中15ノットで南西諸島に沿って南進した。南下に伴い徐々に気温が上昇してきた多少の揺れはあるが秋の東シナ海は爽やかで朝食の後は研修開始までの自由時間を大半の人はデッキに出て風の中を飛ぶ海鳥や時々現れて船と並んで泳ぐイルカの群れを波のシブキを浴びながら楽しんだ。

4・ARIZONA-MARU 「熱帯の幻想」
南緯175度/東経15度ブラジルまでやっと3分の1、初秋の夕刻フィージー諸島の沖合に到着した。雲の隙間から月のような太陽が顔を出し一面が乳白色に包まれている。水などの補給をするため船が止まると無風の中では熱帯の猛烈な暑さに襲われ貨物室を改造しただけの送風装置のない船室は蒸し風呂状態になる。補給が終わると一路南太平洋を南下してホーン岬に向かう。

5.SANTOS-MARU 「早朝の出迎え」
作者の絵はパイロット(水先案)ボートをモチーフにしたものが多く見られる。本作品のパイロットボートは参考になる古い資料が見つからなかった為2010年クイーンメリー号でシドニーを訪れた際に撮影した写真をモチーフにした。

6.MONTEVIDEO-MARU 「洋上での出逢い」
本船はSANTOS-MARUの姉妹船である。
南緯41度/西経53度ホーン岬を通過して3日目アルゼンチン沖を北に進路を取りブラジルに向かって北上を続けていた。太平洋・大西洋のような海洋で船は燃料を節約するために陸から離れ出来るだけ直線のコースを航行するのが常である。そのため日の出から日の入りまで殆ど他の船に出会うことがない。たまに出会っても相手は何キロも離れていて望遠鏡でも船名すら確認出来無い。近距離で船同士が並走又は対航向するのは港に近い地点でしかありえない。この絵の情景は作者が想像して描いたものである。

7.KANAGAWA-MARU 「早朝の入港」
19世紀末から20世紀にかけて帆船時代の名残で動力船でありながら帆走もできる4本マストの船が見られる。本展示会に出品しているCITY OF TOKYOもその中の一隻である。KANAGAWA-MARUは帆はなくなったが4本のマストだけが残った。本作品は早朝の薄明かりの中タグボートに引かれて入港する様子で、タグボートは現在もサンフランシスコ港に記念船として帆船バルクルーサなどと共に展示されているハーキュリーズをモチーフにした。

8.ARGENTINA-MARU 
1939年三菱長崎造船所で建造された12,752t当時最新の移民船でデザインも丸みを帯びて近代的になりディーゼルエンジンが採用され排煙量が少ない分煙突が短くなっている。この事は長距離を旅する乗船客にとって以前より快適な旅が出来たと想像する。この絵はブラジルで出版された移民船の歴史にかんする本に掲載されている写真をモチーフに多くの人が見送る中、神戸港の第4又は第5突堤からの出港時をイメージして描いた。(現在、国外への出発は入国管理局や税関のある第4突堤旅客ターミナル)

9.ARABIA-MARU 「南緯31度のトワイライトタイム」
南緯31度/東経36度現在の南アフリカ共和国ダーバンの沖合に到着し微速運転に入った。パイロットが到着後この港で水や食料を補給し一路ケープタウンに向かう。コロンブスに始まる帆走頼りの大航海時代の船長はここで命を賭けて南進するか引き返すかを乗組員の顔を見ながら思案し決断した。2007年作者が世界一周クルーズの絵画講師として「ぱしふっくびいなす」に乗船した際アフリカ西海岸のカナリア諸島の一つテネリフェ島からアルゼンチンのブエノスアイレスまで無寄港で12日間を要した。クルーズ客船は朝のヨガ教室から始まり毎日多彩なイベントがあり乗客を退屈させないよう工夫されているが移民船でも赤道祭などそれなりに催事が行われ船客の士気が落ちぬよう配慮をしたようである。

10.CITY OF TOKYO 「最初の移民船」
CITY OF TOKYOは日本人移民を初めて海外に輸送した船でペンシルベニア州チェスターローチ・アンド・サン造船所でシティ・オブ・ペキンの姉妹船として建造された。408フィート×47フィート
現在では珍しい4本マスト2本煙突の鋼鉄船である。1885年2月横浜から946人の移民を乗せハワイに輸送した。移民輸送に従事したのは一回だけで1885年6月東京湾付近で座礁、一週間後暴風雨のため沈没した。モチーフになる資料は唯一和歌山市民図書館の中谷氏のご協力をいただき所蔵する1984年1月21日付のHawaiHouchiに掲載されたはっきりしない約10cm角の絵の写真のみでこれをB-3の大きさの絵にするため2010年6月にトルコに贈呈したエルトウ―ルル号の絵の制作と同じように私が所蔵する多くの船舶の本や海外で取材で得た資料を基に試行錯誤の上に完成させた。


制作開始2011年12月24日〜終了2012年5月17日



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